2005年1月26日(水)
逆から考える
友人かちゃ氏の日記「日記がすべてじゃないという当然のこと」を読んで違和感を感じた。
もう何年も前のことになるけれど、
私がなんでもかんでも(爆)をつけて、
笑い飛ばした日記を書いていた頃。
(あれはあれで異常だったよなぁ。)
こんなことを言われて、すんごい驚いた覚えがあります。
「かちゃって、何の悩みもなさそうでうらやましい」
ハァ?
と固まりました、PCの前で。
悩みない人なんているのか?
「なんでそう思うの?」
「日記、読んでたら幸せそう。」
日記は、私の全てじゃないよと叫びたかったです。
当時、私は悩みだらけの鬱状態。
日記の内容は笑い飛ばすようなものばかりだったけど、
はっきり言って空元気。
便宜上、上記引用文の著者を「著者」、「かちゃって、何の悩みもなさそうでうらやましい」
と言ってきた人を「その読者」と呼ぶことにする。
この文章を読んでいると、著者が
- その読者は、「悩みのない人なんているわけがない」という常識を知らない
- その読者は、その読者なりの方法で著者の
空元気
にわざと同調してくれているわけではない
と断定するに至った根拠を知りたくて知りたくて仕方がなくなってくる。
日記は、私の全てじゃないよと叫
びたくなってしまうほど激しく断定した根拠を。
加筆キボン。>かちゃ氏